第十一回『蟲師』おぼろレビュー、見当たらない皆の余裕。

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第十一回おぼろレビュー
『蟲師』 主演:オダギリジョー

学生時代にアニメを見て、蟲師いいなって思ってたんです。
昨今の妖怪ウォッチではないですが、何かしらおかしいな?っていう物事に『蟲』が関係していて、良くも悪くも付き合っていくっていうスタイルが素敵だなって思ったのです。

人が死ぬのも生きるのも、蟲に憑かれてしまうのも自然の摂理の一環…その狭間に蟲師・ギンコがいて、旅をしていくわけですよね。

とても好きです。

ただ、実写映画なのですが…

自分はちょっと…という感じでした。

蟲師に出てくるキャラクターって皆、飄々(ひょうひょう)としていると思うんです。
もちろん蟲に憑かれた人や、その一家は大変なのですが、主要なキャラクター…蟲の存在を知っている蟲師サイドの人って蟲かー…仕方ないよねー…みたいな感じがするんです。

自分は淡幽さんが好きです。
淡幽さんはすごい蟲を体内に封じていて、それをどうにかするために蟲を退治した話を筆跡するというお家柄です。
筆跡する事でさらに封じているんですね。

幼い頃から子供として遊ぶ事も出来ずに筆記者としての教育を受け、今に至る…という方なのです。

原作のエピソードでは、『しみ』という本につく蟲がいて、それらがせっかく書いた淡幽さんの筆記を開放してしまう!という事態になります。
でも、それは『いつもの事』であって、淡幽さんのばあやが『しみは愛玩用』というくらい、余裕の作業みたいなんです。

辛いお家柄でも、その職務を全うし、たまに『しみ』にダメにされそうになってもそれを『遊び』とする…余裕があったのです。

映画の蟲師でも同じようなシーンがあります。
ただ、それって主人公に憑りついた蟲を祓うのにやっていた様な気がします。

そのシーンはかっこよかったんですけど…なんだかね、余裕がないのです。

淡幽さんに余裕がないんですよ!!

映画版『蟲師』には余裕が見当たらないんです。

ギンコ然り、淡幽さん然り…蟲師じゃないですか。
もう幾度も修羅場をかいくぐってきたわけじゃないですか。
映画版で登場する蟲が強力なのはわかるのですが、もうちょっとあっさりやっても良かったんじゃないかなって思いました。

あとは最後の江角マキコさん…

完全にホラー映画になってましたね。

びっくりしました。

『蟲師』って、蟲が憑いて不思議な現象を起こして、それとうまく付き合うには…みたいな話がたくさんあって面白かったのです。
それは不思議な話であって、怖くはなかったんですよね。

なのに最後は…ゾッとします。

どんでん返しとかクライマックスとしてはいいのかもしれませんが、蟲師としては…もうちょっと気楽な感じでもよかったんじゃないかなって思う作品でした。

蟲師自体はとても素敵な作品だと思います。
なので、次回映画というのであれば…アニメのオリジナルストーリーがいいかなって思います。

よしなに。

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