【スナック茜】給食レジスタンス。

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ようこそ、いらっしゃい。スナック茜へ。

会社の総務部(一人)を一人で切り盛りしている茜ママ。
入社云年ぶりにランチに出られた茜ママ。とっても嬉しそうです。
お昼とかいいよね、給食とかまた食べたいし。
そんな誰かの一言に茜ママの顔は暗くなりました。

給食レジスタンス。

給食をね、ほぼ食べないで義務教育期間を過ごしたの。

小学校の六年間と、中学校の三年間。
給食を断固拒否していたの。

ちょっとね、難しい子だった。
私が教師になって、そのクラスに私みたいな子がいたら先生も病むだろうなって思う。
今ならわかるの。

でも、当時はそんなこと気にしていられなかった。

私は給食が嫌だった。

なんとなくね、気持ち悪かったの。
家族でもない人とね、食べ物を共有するっていうのが。

だから、食べられるのはパンと牛乳だけ。
ご飯の日は牛乳だけ。
ジャムとかがつく日はごちそうだった。

当たり前だけどね、クラスで給食を食べるじゃない。

毎回、先生が私を張った。
公開張り込みだった。

最初はね、ただ食べなかっただけ。
私は牛乳とパンだけで生きていた。

そのうち、残しちゃダメ!という勢力が強まってきたの。
私は断固として、拒否した。

レジスタンスだった。

ある日は口いっぱいに食べ物を入れて、トイレに逃げて流した。
ある日はお皿の裏に食べ物を隠して、さりげなく戻した。
ある日はさりげなく隣の子のお皿に民族移動させた。(ゲルマン)

多彩な技を駆使して、給食の時間を乗り越えてきた。
給食の時間、私は舞の海になっていた。
でも、それがあまりにも続いたがために、給食の時間だけ担任の先生が私に張り付く様になった。

それでも私の姿勢は変わらなかった。

NOと言えた。
ううん、従わなかっただけ。

私はどんな戦場の戦士よりも硬い意志を持って給食へ臨んだ。

食べない。

ただそれだけを貫くために。
そんな九年間だった。

でも、給食はそれで終わらなかったの。

実はね、保育士やっていた時もね、これまた有難迷惑なことに『給食の日』っていうのがあった。

義務教育を卒業して、何年も経って、給食なんて忘れかけてた頃に…まさに青天の霹靂だった。

でも、その時はもう私、大人だったの。
それなりの悪知恵がついていた。
男は騙せなくても、純粋な少年少女は騙せた。

クラスの子に全部均等になるように、私の分を混ぜた。
先生の分、うっかりなくなっちゃったけど、大丈夫!っていうていにした。

『せんせいちょっとあげるよー!』
なんていう優しい子もいた。
でも、笑わない目で笑顔になって
『大丈夫よー』
って突き放した。

ごめんね。
だって給食、絶対食べたくないんだもの。

月日はさらに経って、私もさらにいい大人になった。

忙しくてお昼を食べられない日が続いてる。

でも、給食食べたい!なんて一度も思った事は、今のところない。

NO、給食。

かしこ。

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コメント

  1. 悠汰 より:

    自分は給食の牛乳が嫌いだった。

    いや、飲めなかった。だって自分にとっては牛乳は下剤的毒薬だったから。
    いつも飲んだ振りして机の引き出しに隠して、3Fの教室から落として破裂する様見て楽しんでた。嫌いな奴の雑巾とか、体操着にかけたこともあった。
    生クリームは平気なのに、牛乳だと下る。カフェオレ飲めないから、自分はフランス人とかスイス人にはなれません、生まれ変わっても。

  2. スナック茜 より:

    悠汰さん、いらっしゃい。

    じゃあ悠汰さんにお出しするお料理には牛乳は入れないでおくわね。
    じゃないとぴーぴーになっちゃうものね。
    だから、お店の中で誰か嫌いな人に牛乳でいたずらしたらノンノンよ。

    フランス人、スイス人はカフェオレを飲むのね。
    実は私、カフェオレ飲むの。
    でも、日本人。

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